2025年9月を振り返る。成長を感じない英語力と自己嫌悪

成長を実感しないことに対する強い自己嫌悪

2025年9月を振り返る。成長を感じない英語力と自己嫌悪

9月が終わります。月前半はデレステのライブに参加し、後半は長年使ってきたPCをWindows10のサポートが切れる前に更新作業を行いました。適度に世間との接点を持ちつつ自分の環境を整備するなど、いつもと変わらない一ヶ月だったように思います。 そうした日常の傍らには、常に英語学習という課題が横たわっています。

中学英語レベルから抜け出せないという現実

もう英語学習を始めて3年ほどになりますが、私の英語力は未だに中学レベルの入り口で停滞したままです。半年以内にこのレベルをマスターするという目標を達成できずに時間だけが過ぎていきます。この繰り返しです。
現在学習の中心に据えているのは、自分で開発・改修を続けているAIスクリプトです。目的に合わせて新たに作ったり、既存のものに手を入れたりしています。英語学習と同時にスクリプト開発のスキルも独学で身につけているような感覚です。 日々学習に取り組んでいるにもかかわらず、なぜ成果が出ないのでしょうか。 かつての私であれば、この状況に直面した時、自分自身を「無能」「ド低能」とののしり、全てを投げ出して手を止めていたでしょう。自己肯定感というものを捨てたつもりでいたので、そうした感情の波に飲まれることも少なくなっていました。 しかし、それは勘違いでした。

努力が自己否定に変わる瞬間

あまりにも自分の理解力の低さ、覚えの悪さに直面し、久しぶりに激しい自己嫌悪に襲われました。そして、その感情は自罰という形で身体に向かいました。
捨て去ったと思っていた自己肯定感は、実は見えないところで根を張り続けていたのです。学習の停滞は、その根を揺さぶり、否定された自己肯定感が「自分はダメな存在だ」という強烈な怒りを生み出しました。学習しなければ習得できません。しかし、学習すると自分への怒りが生まれ、自罰という形で跳ね返ってくる。完全なジレンマです。

自罰したところで、英語が話せるようになるわけでも、単語を覚えられるわけでもありません。根本的な解決にはならないと頭では分かっているのです。それでも、自分が自分自身に向ける強烈な怒りの感情を処理するためには、現状、これ以外の方法を私は持っていませんでした。

朦朧とする意識の中で見つけた「犯人」

皮肉なことに、解決の糸口が見つかるのは、いつもこうした自己破壊的な行為の後でした。 意識が若干朦朧とし、あれほど激しかった怒りの感情が鈍くなった時、ふと冷静になれる瞬間が訪れます。その時、私は気づきました。怒りが発生するタイミングには、特定のパターンがある、と。
原因は、私の能力や性格だけにあるのではないのかもしれない。思考がその一点に達した時、私はすぐさまPCに向かい、英語学習で使っている自作のAIスクリプトを見直しました。
そして、犯人を見つけました。

「クイズ」から「会話」へ

問題は、AIスクリプトの仕様そのものにありました。 私が組んだスクリプトは自分に怒りが向きやすい仕様になっていたのです。例えば、間違った回答をすると、正解を提示するだけでなく、ことさらに「不正解」であることを強調するようなフィードバックを返します。
実装したクイズ機能が、私を追い詰めていました。一つ一つの不正解が「いつまでたっても成長しない自分」を現実として突きつけ、できない自分に対する怒りを生んでいました。これでは、学習が自己嫌おを増幅させる装置になるのは当然です。

原因に気づいてからは、すぐに行動しました。怒りのトリガーとなっていた部分を特定し、スクリプトを修正します。 クイズ形式ではなく自由会話に変更し、間違いがあれば不正解を強調するのではなく、単に正しい答えと、ネイティブがよく使う言い方を教えるようにしました。
クイズ形式だとどうしても不正解にフォーカスしてしまいます。そもそも英語を学ぶ目的は何だったのでしょうか。資格をとるためでしょうか。そうではないでしょう。あくまで英語というコミュニケーションツールを手に入れて可能性をひろげることでしょう、と。

そこで、設定した課題(例えば課題をBe動詞を使った会話とすると、私がBe動詞を使って返答するような質問をしてくる)に対応したAIからの質問に対して細かいことは気にせず60%の出来でよいので、とにかく自分で考えて答る。
意味が通じれば取り敢えず良しとしたうえで、ネイティブがよく使うセンテンスを提示し、完全に間違っていれば指摘するという仕様にしました。

改修後、学習時間は驚くほど穏やかなものに変わりました。自分自身に対する怒りが消え、純粋に「会話の中で自分で考えることで覚える」という行為に集中できるようになったのです。

独学の挫折と向き合うための、私なりの方法論

今回の経験は、私にとって学びとなりました。
自分のような自罰的な人間は、「自分を責めない」仕組みをいかに構築するかが重要になります。継続のためには、まず精神的な安全性を確保することが何よりも重要だと痛感しました。

10月はどうしようかな

10月は、シャニマスのライブが控えています。それが終われば、今年はライブの予定はありません。残りの時間を、英語学習に充てようと思います。
もしまた学習中に怒りの感情が湧いたら、すぐに手を止めます。そして、その原因がどこにあるのかを冷静に分析し、必要であればツールに修正を加えるというサイクルを繰り返していくつもりです。

自分自身に怒りを向けないで済むように、環境を整えていくこと。自罰という行為に頼らずとも済むように、自分なりの工夫を続けること。朦朧とした意識の中でではなく、冷静な思考の中で、問題解決のヒントを見つけられるようになること。それが、今の私の課題です。

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