予期せぬ交流と、社会不適合感の共有

なじみのフィリピンレストランにて

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校正対象の原稿

先週のことです。オンライン英会話のレッスン中、講師から「おすすめのフィリピン料理」を教えてもらい、食べてみたくなりました。

そこで、先週初めて訪れたフィリピンレストランへ向かったのですが、ドア越しに見えた店内はすでに満席に近い状態でした。その光景を見て、私は即座に踵を返しました。

結局、足が向いたのはいつもの馴染みの店でした。ここなら、適度な距離感と静けさが保証されているからです。

馴染みの店の、甘い豚肉

店内に入ると先客が数人。この店にしては珍しく日本人の姿があり、カウンターに座る男性がママさんと何やら親しげに会話を楽しんでいるようでした。

とりあえずカウンター席に座り、メニューを開きました。セットメニューのようなものが食べたかったので、「トシログ(Tocilog)」を注文することにしました。

トシログとは、フィリピンの甘い豚肉料理「トシーノ」、ガーリックライスの「シナガック」、そして目玉焼きの「イトログ」がワンプレートになった定食のようなものです。 このジャンクな感じが異国を感じられて、個人的には好きです。

「逃げ場」を共有する同世代

食事中、BGMのように聞こえていたママさんと男性客の会話は、フィリピン人女性についての話題でした。

「彼の彼女、フィリピン人なのよ」

唐突にママさんから話を振られました。普段なら適当に愛想笑いをして流すところですが、その場の空気に押され、私は珍しく会話に入ることになりました。

聞けば、男性も私と同世代でした。彼はマニラ周辺によく行くそうで、セブが拠点の私とは場所こそ違いますが、話の節々に共通する匂いを感じました。

彼も私と同様に、ここでの生活に生きづらさを感じており、多少不便でも適当に許される場所で生きたい。そのほうがマシだと思っているように感じました。

彼の言葉は刹那的で、将来の具体的な計画があるようには見えませんでした。しかし、その根底にある「ここではないどこか」への渇望は、痛いほど理解できました。私たちのような人間にとって、フィリピンという国は単なる南国リゾートではなく、社会の重圧から逃れるための避難所(シェルター)になりえる可能性があるのかもしれません。

祭りのあとの静寂と疲労

店を出た後、いつものように遅れてくる疲労感に襲われました。

私にしては珍しいことです。初対面の人とこれほど話し込むなど、普段なら絶対に避けるシチュエーションです。気を使わないようにしているつもりでも、やはり無意識に神経をすり減らしていたのでしょう。

それでも、不快ではありませんでした。お互いに「日本社会への適合不全感」を抱え、海の向こうに逃げ場を求めている同志。そんな共犯者意識が、一時的な連帯感を生んだのかもしれません。

彼女との関係が続けば、いずれは海を渡ることになるでしょう。
沈みゆくこの場所で不平を漏らすよりも、私は静かに、確実に脱出するための準備を淡々と進めていくだけです。

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