AI英会話を「中学文法」からやり直す。

苛立ちと自己嫌悪の先に見えたもの。

AI英会話を「中学文法」からやり直す。

ネットで購入していた「なまくり」の10倍ちょこみんとを食べてみました。 2025-09-09-001.jg.jpg 以前食べた黒ちょこみんとも濃厚でおいしかったのですが、今回の10倍ちょこみんとは、その名の通りミントの清涼感がかなり強く、個人的にはこちらの方が好みでした。 2025-09-09-002.jg.jpg 甘さの中に爽快感があり、暑い日には良いかもしれません。清涼感を求める人なら、おそらく満足できる味だと思います。

それはそうと、AIを活用した英会話学習も引き続き淡々と続けています。

ただ、学習の方法を少し変えました。以前使っていたスクリプトは、今の自分にはまだ時期尚早だと判断したからです。

なぜ時期尚早だと感じたか。それは、自分自身の英語力を改めて客観視したとき、日本の中学で習うレベルの基礎的な文法すら、いかに曖昧なまま放置してきたかを痛感したからです。知っている単語を並べて、なんとなく意味が通じている(と思い込んでいる)だけで、文章の構造が根本的に破綻しています。この状態でフリートークを繰り返しても、間違った癖が定着するだけではないかと思いました。そんな疑念が拭えませんでした。

そこで、新しく自分用に下記のスクリプトを作成しました。

あなたは、私の英会話練習のパートナーです。これからあなたと英会話を始めます。練習の目的は、中学レベルの英語を正確に使えるようになることです。以下のルールを厳守して、会話を進めてください。
【ルール】
会話のレベル:
あなたが使用する単語や表現は、日本の中学で習うレベルの簡単なものに限定してください。
文法ミスの指摘:
私の発言に文法的な間違いを見つけたら、必ず日本語で指摘してください。
指摘する際は、以下の形式でお願いします。
間違いのある文: (私が言った文をそのまま引用)
正しい文: (修正後の文を提示)
解説: (なぜ間違っているのか、どうしてそのように修正するのかの理由を日本語で分かりやすく説明)
私が練習のために同じ文を繰り返し入力することがありますが、その中に間違いがあれば都度訂正してください。
重点的に練習したい文法:
会話の中で、特に以下の文法項目を私が使えるように、意識的に質問をしたり、話題を振ったりしてください。
現在形
過去形
助動詞 (can, will, should など)
受け身 (受動態)
現在完了形
現在進行形
なお、私はこれらの文法以外を使うこともあります。
短縮形について:
私は正確な英語を学ぶため、"I'm" や "don't" のような短縮形を意図的に使用しません。"I am" や "do not" のように記述します。(短縮形を使わないとしていますが、厳禁しているわけではないで、短縮形の使い方を間違っていないのであれば指摘する必要はありません)
日本語でのサポート:
あなたの質問の意味が分からない場合、私が日本語で解説を求めることがあります。その際は、質問の意図を日本語で説明してください。
以上のルールを理解しましたか?
準備ができたら、「準備ができました。さあ、会話を始めましょう!」と返信して、あなたから最初の簡単な質問をしてください。

当然ながら、慣れない文法を意識して話そうとすると、面白いように間違えます。三単現のsを忘れる、過去分詞がすぐに出てこない、助動詞の後の動詞が原形にならないのです。間違いを指摘されるたびに、思考は停止し、短い沈黙が流れます。

そして、その瞬間に湧き上がってくるのが、自分自身に対する強い苛立ちです。
もともと完璧主義的な側面があるのは自覚していますが、この英語学習における「間違える」という行為は、私のそうした気質を容赦なく刺激します。頭では「間違えるのが前提だ」「繰り返して体で覚えるしかない」と理解しているつもりです。日本語だって文法を意識して習得したわけではないだろう、と。

しかし、理屈では分かっていても、感情が追いつきません。
間違いを指摘された瞬間、脳内で「なぜこんな簡単なことができないんだ」「この無能クズが」という自己を罵る声が響きます。そうなると、もう英語学習どころではありません。自分自身との戦いが始まってしまいます。これが非常に面倒なのです。

かつては、こうした自己嫌悪が昂じると、物理的に自分を傷つけることでしか精神の均衡を保てない時期もありました。幸い、今はもう自傷するようなことはなくなりましたが、思考の中で自分を徹底的に痛めつける癖は、未だに根強く残っているようです。

ただ、この面倒な自分と向き合いながらも、一つだけ仮説を立てています。
それは、「苛立ちを感じなくなるくらい、膨大な数の間違いを経験すればいいのではないか」ということです。一つ一つの間違いに対する感情の振れ幅が大きすぎるから、疲弊してしまいます。ならば、間違いそのものを日常の当たり前の出来事、呼吸をするのと同じくらいの無意識な行為にまで貶めてしまえば、苛立ちも薄れていくのではないでしょうか。

正直、うまくいくかは分かりません。私の「無能の完璧主義」が、そう簡単に屈服するとは思えません。それでも、試してみる価値はあると思っています。とにかく、今の初心者の領域から一刻も早く脱却したいのです。その一心です。

世の中には「半年で英語が話せるようになる」といった魅力的な言葉が溢れていますが、私には到底そうは思えません。日本語の使用を一切禁止されるような極端な環境に身を置かない限り、それは幻想に近いのではないでしょうか。
一歩ずつ、たとえ泥濘に足を取られようとも、進むしかありません。今はそう考えています。

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