予期せぬ猫との遭遇

人混みを避けた先で再確認した「ひとりの時間」の価値

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週末、リフレッシュしようと出かけたのに、かえって人混みに疲れてしまった...。 平日の人間関係で気を使いすぎているというわけでもないが、休日はただ静かに過ごしたい...。 そう思うことがあり、そういうときは特に予定がなくても、予定があることにして誘いを断ることもあります。

週末の喧騒と「ひとりでいたい」気持ち

私はHSP気質もあってか、人混みや喧騒が苦手です。平日の仕事で多少なりとも気を使い、週末にリフレッシュしようと出かけて、人の多さに消耗してしまう、ということを何度も経験してきました。

「平日は引きこもりがちなので、休日、どこかへ出かけたい」という思いがある一方で、私の本心は「静かな場所で、ひとりでゆっくりしたい」と思っている。このギャップに、自分でも時折疲れることがあります。

そんな中、そろそろ銀杏が色づく頃かと思い立ち、カメラを持って出かけることにしました。もちろん、選んだのは観光地化された名所ではなく、地元の人が知る静かな神社です。

目的は「銀杏」。でも見つけたのは「静けさ」だった

神社に到着すると、予想通り、参拝に訪れる地元の人が数人いた程度で、境内は非常に静かでした。

目的の銀杏は、いい感じに色づいてはいましたが、見頃としてはまだ少し早かったかもしれません。 写真を撮るためにカメラを持参していましたが、色づきも微妙だったため、数枚撮っただけでほとんど撮影することはありませんでした。

目的が達成できなかった、ある意味「少し残念な状況」ではありましたが、その静けさ自体は私にとって心地よいものでした。

予期せぬ出会いと「人間関係に疲れた心」への癒し

呼ぶと近寄ってきた白い猫

参拝を済ませ、写真を撮るのをやめてぼんやりしていると、視界の端に白い猫がいることに気が付きました。

試しに呼んでみると、警戒するでもなく、人懐っこく近寄ってきました。おそらく神社か、この周辺で可愛がられている地域猫なのでしょう。 2025-11-16-103 そこからは撮影も忘れ、しばらくその猫と遊んでいました。

なぜ、猫はこれほど心を穏やかにするのか

猫は不思議なもので、ただ撫でているだけ、あるいは「にゃぁ」という鳴き声を聞いているだけなのに、心が穏やかになります。

ふと、「人間関係に疲弊し猫や犬に癒しを求める」という人の心理は、こういう感覚なのだろうか、と考えました。本心を知る由もないですが。 2025-11-16-107 言葉を介さず、利害関係もなく、ただそこにある温もりに触れる。HSP気質を持つ私にとって、こうした言葉を介さないコミュニケーションは、何よりも消耗した精神を回復させてくれるように感じます。

再確認した「私にちょうどいい距離感」

こうしてひとりで静かな神社を訪れ、そこに住む猫と戯れる時間は、私にとって貴重なものです。
「たまに誰かと出かけるくらいが私にはちょうどいいかもしれない」 そう思いました。

また、猫と暮らすのもいいな、とも思います。 将来、パートナーと猫と暮らす。これが、今の私のささやかな理想かもしれません。
そして、その理想に近づけたいからこそ、今、ひとりで黙々と取り組まなければならないことがあるのも事実です。

「見たい」と「疲れたくない」の葛藤

猫に別れを告げ、帰宅の途につきました。 私は 完全に悟りを開いたわけでもなく、他者や外部との関係を遮断し、自宅ですべてが完結する境地には至れていません。
訪れたい場所や、行ってみたい店、見てみたい景色は、まだ外の世界に多くあります。

今週末、早い時間に北鎌倉の寺をいくつか回ってみようかと考えています。 鎌倉は間違いなく人が多いでしょう。
「紅葉を見たい」という純粋な感情に正直になるか、「人混みに飛び込みたくない」というHSP的な自己防衛の本音に従うか。難しいところです。

とはいえ、葛藤ばかりしていても何も始まりません。 「早い時間に行けば、いくらか人は少ないだろう」 そんな妥協点を探りながら、人混みというストレスを最小限にしつつ、自分の欲求を満たす方法を模索しています。

人間関係の機微に過度に反応してしまう自分の気質は変えられませんが、そうして消耗する場所からは静かに距離を置き、自分を守る選択は自分で決めるようにしています。

心が穏やかになる時間を

人混みが苦手で、ひとりで過ごすことを好む自分を、特に否定する必要はないと感じています。

今回の外出のように、目的(銀杏)が完璧に達成できなくても、こうした静かな場所と予期せぬ出会い(猫)が、結果的に心を満たしてくれることもあるようです。 「先のためにいろいろやることはある」のですが、こうした息抜きもまた、前に進むためには必要な時間なのだと再確認しました。

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