仕事を終え、ノートパソコンを閉じます。さて、夕飯はどうしようか。そんなことを考えながらも、結局焼きそばを作ることにしました。
いつもなら、夕食はごく少量で済ませます。日中はほとんど椅子から動かない生活なのだから、多くのカロリーは必要ありません。そう考えて、意識的に食べる量を減らしています。ですが、今週は少し事情が違いました。冷蔵庫の中が、普段の自分らしからぬ賑わいを見せているのです。少し、食材を買い込みすぎたようです。
面倒くさがりの私が焼きそばを作る際は、決まってカット野菜を使います。包丁を握るのは肉を切る時くらいで、あとは炒めるだけ。その手軽さがいいのです。しかし、冷蔵庫には先週、フィリピン料理の「ソパス」を作った際に買ったキャベツが残っていました。半分にカットされたものを買ったものの、一人で一度に使い切れるはずもなく、先日のうちに焼きそば麺ともやしを買い足しておいたのです。3袋で100円ほどの、粉末ソースが付いたお馴染みの生麺です。
キャベツ、玉ねぎ、ニンジン、そして薄切りのベーコンを、まな板の上で淡々と刻んでいきます。いつもなら存在しない「具材を切る」という手間が、今夜の調理に加わりました。油をひいたフライパンに、野菜とベーコン、もやしを投入します。野菜がしんなりしたところで麺を加え、少量の水を差してほぐしながら炒めました。最後に粉末ソースを全体に絡ませれば、ありふれた焼きそばの完成です。
食事を終えて皿を洗っていると、彼女からメッセージが届き、しばらく簡単なやり取りを交わした後、スマートフォンが鳴りました。
彼女とは、ほぼ毎日チャットかビデオ通話で連絡を取り合っています。私がまだ彼女の言葉を十分に聞き取れないためか、気を遣って最初にメッセージをくれることも多いです。そのおかげで、リーディングに関しては、出会った頃よりずいぶんと力がついたように思います。それでも、私の英語力は未だに初心者の域を出ていないのでしょう。
英語学習を本格的に始めて、もう3年近くになります。世間では、1年もあれば日常会話には困らないレベルになるといった話も耳にしますが、私の現在地はそこから程遠いのが現実です。なぜだろうか。年齢のせいにするのは簡単ですが、本質はそこではないのでしょう。単純に、本気度が足りなかったのです。あるいは、目標が曖昧だった、と言うべきでしょうか。「いつか海外で暮らすために」という漠然とした動機だけでは、人間は本腰を入れられないのかもしれません。どうありたいか、どうなりたいか。その解像度が低いままでは、行動は習慣にならず、時間だけが過ぎていきます。
この3年間で得たものが皆無だとは思いません。毎日少しでも英語に触れる、という習慣は身につきました。特に、話すという行為は脳と口を同時に使うため、記憶の定着には最も効果的だと感じます。決まって使うフレーズは、さすがに覚えました。そう考えると、完全な初心者からは脱しているのかもしれません。
昔から、私には自分を極端に低く評価する癖がありました。常に自分は集団の最底辺にいる、無価値な人間だと考えていたのです。最近になって、その思考がいかに無意味で、何の役にも立たないかを理解し、意識の上ではとっくに捨て去ったつもりでいました。ですが、こうした自己評価の癖は、無意識のレベルに深く根を張っているようです。だから本当は、自分が思うよりは成長しているのかもしれないし、自己評価の通り、全く進歩していないのかもしれません。
これからの半年、一年で、目に見える成長を遂げられるでしょうか。それはわかりませんが、今はただ、具体的なイメージを持って取り組むしかない。それだけは、確かなことです。彼女の言葉を一つでも多く理解できるようになりたい。自分の考えを、もっと正確に伝えられるようになりたい。そのための道筋を、今一度、自分の中で描き直す必要があります。