モヒージャと友人の話
久しぶりに、馴染みのバーの扉を開けました。友人はすでに来ていたようで、私はカウンター席の彼の隣に腰を下ろします。
私は新たにメニューに加わっていた「モヒージャ」を注文しました。すり潰したミントにクラッシュドアイス、そしてブランデーをジンジャーエールで割った、この店オリジナルのカクテルです。
グラスを口に運ぶと、冷たいミントの香りが鼻を抜け、後からブランデーの深いコクが追いかけてきました。先客が数人いて店はそこそこにぎやかでしたが、不思議と気になりませんでした。
彼とは、自然と海外移住の話になります。私の計画を理解し、時に現実的な視点を与えてくれる、数少ない貴重な存在です。海外移住の話は、相手を慎重に選ぶ必要があります。十分な知見を持たない相手は、善意からであれ、往々にして「ドリームキラー」と化すからです。私の考えを尊重し、かつ海外に知人がいるような偏りのない視点を持つ彼のような相手は、本当にありがたい存在です。
モヒージャを傾けながら、彼が最近耳にしたという話をしてくれました。海外へ移住したものの、現地のコミュニティに馴染めず、会話の相手がパートナーしかいない、という彼の友人の話でした。身近に母国語を話せる人間がいない環境で、孤独を感じ精神的に不安定になっている、とのこと。
この話を聞いて、私は自分の中のある決定的な視点が、すっぽりと抜け落ちていたことに気づきました。移住先でのコミュニティとの関わり、とりわけ「日本人コミュニティ」という存在です。
私はこれまで、現地のコミュニティにいかに受け入れられるか、そのためにどれだけの時間を要するのか、ということばかりに気を取られていました。内向的でHSP気質の私は、そもそも積極的なコミュニケーションを避けるきらいがあります。地元に溶け込むのが容易ではないことは百も承知ですが、それでも孤独は苦にならない、そう考えていたのです。
孤独とコミュニティ:欠落していた視点
過去、精神的に不安定だった時期に他者を頼り、結果として酷い目に遭った経験があります。以来、私の警戒心は人一倍強くなりました。HSPを自認してからは、意識的に他者との間に壁を設けてきました。孤独は、私にとって決してネガティブなものではありません。むしろ、一人で過ごす時間は思考を整理し、自分を保つために不可欠なのです。
ただ、彼の話は、そんな私の認識を静かに揺さぶるものでした。母国語が全く通じない環境で、心の機微まで伝えられる相手が一人もいないという状況。それは、私がまだ経験したことのない、想像以上の精神的負荷を伴うのかもしれません。その事実が、盲点でした。たとえ積極的に関わらなくとも、いざという時に同じ言語を話せるコミュニティや個人の存在が、精神的なセーフティーネットになり得るのです。
これは、私のパートナーにも言えることです。もし彼女が日本で暮らすことになった場合、日本のコミュニティに馴染めなければ、話し相手が私だけになってしまいます。彼女の母国出身の知人が日本にいれば、それだけで孤独や孤立のリスクは大きく軽減されるでしょう。経験していないことは、情報収集の段階ですら意識の外に置かれがちです。
警戒心と信頼関係の構築
問題は、信頼できる相手をどう見極めるか、ということです。私のような人間が、積極的にコミュニティに飛び込んでいけるのか。パートナーも人見知りをするタイプです。
移住者を狙って近づいてくる日本人が多いという話も聞きます。特にフィリピンではその傾向が強いとされ、「移住先で最も警戒すべきは、同じ日本人だ」という話すらあります。警戒しすぎれば誰も信じられなくなりますが、無防備でいられるほど楽観的でもありません。
時間をかけて、信頼できる人間関係を築いていくしかないのでしょう。急ごしらえの関係性よりも、じっくりと育んだ繋がりこそが、最終的には自分たちを支えるはずです。そして同時に、コミュニティに依存しない生き方が本当に可能なのか、という点も探っておく必要があります。
どちらに転んでも対応できるように、常に複数の選択肢を手元に置いておく。それが私の基本姿勢です。
選択肢を持つということ
海外移住という大きな決断において、選択肢を複数持つことの重要性を改めて認識しました。メインの移住先とは別に、バックアップとなる候補地を2つ、3つと用意し、それぞれ準備を進めておくのが賢明です。今、最も魅力を感じているフィリピン・セブ島が、将来も同じ輝きを放っているとは限りません。何が起きてもおかしくないのが、世の常というものです。
その時々で最善の判断ができるよう、ただ淡々と準備を進めるだけです。