仕事が始まる前の静かな時間。私はブログの原稿に向かうか、日課と化した英語学習に時間を費やします。これも通勤のないリモートワークの恩恵でしょう。劇的な変化はありません。ただ、昨日より今日、今日より明日と、わずかでも記憶に定着するよう反復作業を続けるだけです。
仕事を終え、夕食を済ませた後の1〜2時間も、英語学習の時間と決めています。気づけば、惰性でタップしていたソーシャルゲームのアイコンに触れることはほとんどなくなりました。やるべきことが明確になった今、あれは限られた時間を浪費するだけの虚しい行為に思えます。その時間を、今は移住候補地の情報収集や、こうして自身の思考を整理することに使っています。時間はあっという間に過ぎていきます。
この社会が住みづらいと感じてから久しいです。ただ指をくわえて、社会への恨み節を吐くだけの人間にはなりたくありません。そうなる前に、ここから脱出する。その思いだけが、私を動かしています。
最近、その英語学習に、これまで頑なに避けてきたツールを取り入れました。Tiktokです。
時間の浪費を促すアルゴリズム、個人情報に関する黒い噂。そういった断片的な情報から、自分には無縁の、むしろ避けるべきアプリだと決めつけていました。私がその重い扉を開いたのは、他でもない、セブにいる彼女の助言があったからです。
「これ、あなたのトレーニングに良いと思うよ」
彼女が送ってきたリンクを開くと、そこには私がこれまで知らなかった英語学習の世界が広がっていました。
脳と口を直結させる訓練
彼女が勧めてくれたのは、二種類のトレーニングでした。
一つは、フラッシュカード形式の動画です。画面に次々と画像が表示され、それを見て即座に英単語で答えます。これまで私は、日本語と英単語が対になった単語帳アプリで暗記を繰り返してきましたが、その限界も感じていました。文字面では覚えていても、イメージと結びついていないのです。だから、いざという時に言葉が出てきません。
彼女が勧めてくれた動画で、その事実を改めて突きつけられました。何度も覚えたはずの単語が、画像を見せられた途端、口から出てこないのです。キッチン用品、動物、乗り物。ごく基本的な単語でさえ、淀みなく答えることができません。これまでの時間は、何だったのか。そんな無力感に襲われながらも、私は今、このフラッシュカード式トレーニングと単語帳アプリを並行して続けています。愚直にやるしかありません。
もう一つは、画面の下から上へ流れていく英文を読み上げるトレーニングです。
目で英文を追い、内容を理解し、即座に口に出します。リーディングとスピーキングを強制的に同時に行うようなものです。スクリプトは無情にも上へと消えていくため、瞬時に読み取って発声しなければなりません。これが、想像以上に難しいのです。
脳と口が、うまく連動しないのです。目で単語を認識しても、スムーズに音になりません。何度もつっかえ、言い間違えます。同じ動画を、滑らかに言えるようになるまで何度も、何度も繰り返します。終わる頃には、口の周りの筋肉が疲労で重くなっています。ただ漫然と音読するのとは全く違う負荷が、ここにあります。良いトレーニングになっている実感はありますが、とにかく口が疲れます。
セブに滞在していた間、時間を見つけてはこのトレーニングを彼女の隣で行いました。私が読み間違えたり、発音がおかしかったりする度に、彼女が指摘してくれます。彼女は以前、オンライン英会話の講師をしていた経験があり、そのフィードバックは的確です。独学では決して得られないものであり、本当にありがたい存在だと感じています。
後になって知ったことですが、こうしたトレーニング動画はYouTubeのショート動画にも無数に存在していました。要は、プラットフォームが問題なのではありません。自分がどういう目的意識を持って、ツールを使うか。ただそれだけのことなのでしょう。
行動の源泉にあるもの
なぜ、ここまでして英語を学ぶのか。
その問いの答えは、この国からの脱出を本気で考え始めた、あの日に遡ります。海外で生きていく上で、英語は避けては通れません。そして、どうせ学ぶなら実践の場で、と考えたことが紆余曲折を経て、今の彼女との交際に繋がっています。
海外に、将来を共にしたいと思えるパートナーがいる。この事実は、海外移住への行動を加速させる上で、これ以上ないほどの強力な原動力となっています。
何度も記しているような気がしますが、私の行動の源泉には、ネガティブな感情があります。この就職氷河期世代を「自己責任」の一言で切り捨て、今なお冷遇し続けるこの社会への、静かな復讐心です。この国に、もはや何の期待もしていません。ここに残っても救われることはないでしょう。社会のお荷物として、あるいは為政者の気分次第でいつでも殴っていいサンドバッグとして、江戸時代の穢多非人(あえてこの強い差別用語を使用しますが)のような身分で生きていくことになる。そんな未来は、断固として拒絶します。
沈みゆく船と、心中するつもりは毛頭ありません。まだ体が動き、気力が残っているうちに準備し、行動し、ここから脱出します。その強い思いが、私を突き動かしています。
皮肉なことですが、このネガティブな感情が、行動そのものをポジティブなものへと転化させています。英語を学び、移住情報を収集し、収入源の確保と拡大を模索し、投資を続ける。すべては、来るべき日のための準備です。
そして、その準備を続ける中で、新たな原動力が生まれました。彼女の夢を、叶えてあげたいという思いです。彼女には彼女自身の夢があります。私の計画は、まずその夢の実現を支えることから始まります。移住はその先の話です。
ですから、実際の移住は数年後になるでしょう。しかし、それはあくまで目安に過ぎません。情勢がどう変わろうと、いつでも動けるように準備だけは怠りません。どうなりたいのか。どうありたいのか。どんな人間でいたいのか。そのことを常に念頭に置き、日々の行動を選択していきます。
口の疲れなど、その目的の前では些細なことです。私は今日も、流れていくスクリプトを、ただ黙々と追い続けます。