冷蔵庫の残り物で作ったカレー
冷蔵庫の残り物で作ったカレーを作りました。ジャガイモ、玉ねぎ、人参、そして鶏肉。特にこだわりはありません。そもそも、残り物で作る料理にこだわりようがないのです。
目的を持った自炊と生活改善
以前は自炊などあまりしなかったのですが、最近はこうしてキッチンに立つことが増えました。積極的に楽しんでいるわけではありません。ただ、海外移住という目標を達成するためには、健康な身体と、それを維持するための最低限の生活習慣が必要だと判断したからです。一人暮らしの自炊が、スーパーの惣菜に比べてどれほどの金銭的恩恵があるかは分かりませんが、今はまず「行動する」という事実そのものに価値を置いているつもりです。
とはいえ、レパートリーは驚くほど少ないです。献立を考えるという習慣がないのです。最近はその物珍しさも手伝ってフィリピン料理にチャレンジすることが増えましたが、日本の家庭料理となると、作るのはカレーや焼きそばといった程度です。
買い物という名のささやかな運動
外はうだるような暑さです。買い物にすら行きたくありません。ですが、食材が尽きれば、否が応でも外に出ざるを得ないのです。「買い物に行かなければならない」という状況を、自分自身で作り出している。これは運動不足解消のための、ささやかな強制力です。
日が落ちてから出かけても、じわりと汗が滲みます。
「今年の夏は異常ではないか?」
毎年同じことを考えている気もします。夜も熱帯夜が続き、エアコンなしでは眠れません。タイマーを設定して寝ても、停止後すぐに部屋が蒸し暑くなり、不快感で目が覚めます。タイマーとは関係なく夜中に目が覚めてしまうこともあり、ここ最近は慢性的な寝不足に陥っています。
睡眠の質を向上させるための投資
体調が万全でなければ、仕事も、語学学習も、望むような成果は出せません。コンディションの維持は、目標達成に向けたロードマップにおける最重要項目の一つです。
そこで、ずっと購入を迷っていたサーキュレーターを、先週末Amazonで注文しました。正直なくても困りませんし、無駄なものは部屋に置きたくないとも思っています。しかし、日々の睡眠の質、ひいては生活全体の質を向上させるための投資だと考えれば、これは「必要経費」です。注文から到着まで1週間かかるようです。このタイムラグも配送業界の人手不足の表れでしょうか。こんな些細なことからも、この国の緩やかな衰退を感じずにはいられません。ともかく、今はただ、その到着を待つことにします。
過去の自分と向き合う:自罰からの脱却
思えば、こうして「自分の快適さ」のために何かを選び、投資するという思考は、以前の私にはなかったのかもしれません。
かつての私は、ひどく自罰的でした。今で言う「セルフネグレクト」に近い状態だったのかもしれません。何かミスをしたり、自分自身が許せないと感じたりするたび、私は私自身を罰していました。具体的にどうしたかは、ここでは書きません。ただ、そうしなければ次の一歩を踏み出せなかったのです。自分を傷つけ、罰することでしか、自分自身を許すことができなかった。面倒で、歪んだ自己愛の形だったと、今なら客観的に分析できます。
その根深い感情が、完全に消えたわけではありません。
おそらく、一生消えることはないでしょう。住む場所を変えたこと、今後の目標が明確になり、自分を優先できるようになったことで、私はその黒い感情をどうにか「封印」しているに過ぎないのです。今でも、ふとした瞬間に鎌首をもたげてくることがあります。ですが、そのたびに私は意識を逸らし、見ないふりをするのです。
消そうとすれば、きっとまた泥沼にはまるでしょう。「消せない自分」に苛立ち、その苛立ちを鎮めるために、また自分を罰してしまうかもしれません。それはただ、黒い感情の復活を後押しするだけの愚行です。だから私は、この感情を眠らせておくことを選びました。存在を認め、しかし、決して構わない。ただ、そこに在るだけのものとして放置するのです。
「自己肯定感」という呪いからの解放
この変化は、自分でも不思議に思います。きっかけは、海外移住という明確な目標ができたことかもしれません。ロードマップを描き、やるべきことが具体的になったとき、「自分を罰している暇があるなら、一つでもタスクをこなせ」と、もう一人の自分が囁くようになりました。自罰に意味はない。それは、時間を浪費するだけの、最も非生産的な行為です。
最近、気づいたことがあります。私は「自己肯定感が上がった」わけではありません。むしろ、その逆です。「自己肯定感」という、他人から与えられた不毛な概念そのものを、思考のゴミ箱に捨てたのです。
自己肯定感が高いとか低いとか、そんなことはどうでもいい。重要なのは、目標達成のために行動できているか、ただそれだけです。暑いからサーキュレーターを買う。そこに、自分を大切にしようとか、自分を愛そうとか、そんな思想は介在しません。ただ、睡眠不足や不快な環境はパフォーマンスを下げるから、という極めて合理的な判断があるだけです。私には、このドライな考え方が合っているらしいです。「自己肯定感」という呪いから解放されただけで、これほどまでに思考がクリアになるものかと、少し驚いています。
「思考を整理する荒療治」とささやかな希望
それでも、どうしても思考がまとまらず、内なるノイズがうるさくて仕方がない時があります。そういう時は、荒療治を用いることにしています。意図的に予定を詰め込み、タスクを積み上げ、自分を物理的に忙しくさせるのです。文字通り「心を亡くす」状態に自分を追い込む。やるべきことに集中しなければペナルティが発生する状況に身を置けば、物思いにふける隙などなくなります。
もちろん、これは心身を消耗させる諸刃の剣です。やりすぎれば体調を崩す本末転倒な結果になります。よほど思考の迷路から抜け出せない時にだけ使う、一種の強制的な軌道修正です。
英語学習については、彼女の「焦らなくていい」という言葉が、今も私を支えてくれています。他者の思想に囚われず、自分のペースで進む。簡単なようで、難しいことです。
サーキュレーターが届いたら、少しは夜が快適になるでしょうか。夏の夜の「ささやかな希望」です。