毎年繰り返す、季節の変わり目の不調
季節の変わり目、というには少し早いのかもしれませんが、また慢性的な倦怠感に襲われています。身体が鉛のように重く、思考も鈍くなる感覚です。少し前まで予定を詰め込みがちだったから、単に疲れが取れないだけだろうか、と考えていました。しかし、よくよく記憶を遡ってみると、この時期は毎年同じように体調が優れないことを思い出しました。
天候のせいか、昨日からは倦怠感に加えて片頭痛も始まりました。こうなってしまうと、私にできることは多くありません。痛みを感じ始めてからでは、もう薬を飲んでもほとんど効かないのです。何をしても「だから何だ?」と痛みが主張してくるようで、ただ増していく感覚があります。だから、何もしない。これが私の長年の経験から導き出した、唯一の対抗策です。
私が見つけた唯一の対処法は「何もしない」こと
このどうしようもない不調に対して、私が見つけた対処法は、前述の通り「何もしない」ことです。
以前は、偏頭痛が発症した時は薬を飲んだり頭を冷やしたりしてなんとかしようとしましたが、それは逆効果でした。改善することはなく、ただただ頭痛にやられるだけだったのです。
ある時から、私はあえて対処しないことにしました。あれこれ対処しても無駄ということを痛感したからです。
「何もしない」とは、具体的には、頭痛薬を飲まないのを前提として、外部からの情報を遮断し、一人で静かに過ごすことを意味します。部屋の照明を落とし、スマートフォンやPCの画面を見ない。音楽も聴かず、ただ静かに横になる。思考が巡り始めても、それを無理に止めようとはせず、ただ流れに任せる。要するにさっさと眠るということです。
しかし、私の場合、偏頭痛は吐き気を伴うことが多々あるので実際は難しいことが多いです。
「何もしない」を理解してくれる人、そして心穏やかな場所
そして、この「何もしない」時間の大切さを理解してくれる存在がいることは、私にとって幸運なことでした。
私のパートナーも一人の時間を大事にする人です。自分自身と向き合い、思考を整理する時間が必要なのだと言います。彼女が「少し考える時間がほしい」と言う時、私は「あなた自身と向き合って答えを出してほしい」とメッセージを返し、しばらく連絡を控えるようにしています。 一方で、私自身が精神的な回復のために一人の静かな時間が必要であることも、彼女に説明しています。
以前、HSPについて書かれた英語のWebサイトを送り、これを読んでほしいと伝えたところ、彼女はそれらのサイトを読み、私の気質を理解してくれました。
私たちはお互いに、一人になる時間が必要だという共通の認識を持っています。だから、将来もし一緒になっても、きっとうまくやっていけるだろうと感じています。これが、もし片方が「常に一緒にいるべきだ」と考える人だったら、おそらくうまくいかないでしょう。私のこの感覚は、おそらく理解できないからです。理解しているつもり、理解したフリをしているだけで、本当の意味では理解できていない、というケースが容易に想像できます。
同じような価値観を持つ人と巡り会えたのは、本当に幸運だったのだと思います。 彼女は、私が彼女を尊重することに対して、感謝の言葉をくれます。その言葉に、私は救われるのです。 これまで、私の気質や価値観は、さんざんな評価をされてきました。しかし、彼女は、そんな私をそのまま受け入れてくれました。 もしかしたら、ただ単に、私がいた場所が悪かっただけなのかもしれません。
今いるこの日本社会が、私のコンフォートゾーンかといえば、決してそういうわけではないように思います。 であれば、ここに留まり続ける理由はないのです。残りの人生は、自分が快適だと思う場所で過ごしたい。それは、物理的に便利とか、そういうことではありません。何よりも、心穏やかに過ごせる場所で生きていきたい、と強く思います。
自分の心と身体の声に正直であること
少し話がずれましたが、今はただ、この片頭痛が治まり、週末に出かけられる状態に体調が戻ることを願うばかりです。
辛いときは、辛いと感じることを自分に許可する。そして、休むことを許可する。かつては、そんな当たり前のことすら、私には難しかったように思います。
自分の心と身体の声に正直になること。そして、自分の気質や価値観を理解し、尊重してくれる存在を見つけること。それは、簡単なことではないかもしれません。しかし、自分を大切にすることが、結果的に、自分の大切なパートナーを大切にすることにも繋がっていくのかもしれません。