家族から譲り受けた手作りの革財布
家族から、余った革で製作したという財布を譲り受けました。
自身のために仕立てた際に出た余剰分を活用したようですが、丁寧な手仕事が感じられる品です。
私がこれまで使用していたものは、気づけば10年以上が経過していました。随所に傷みが出ており、以前から買い替えを検討しては、百貨店のコーナーなどを時折物色していたのですが、結局納得のいく個体に出会えずにいたのです。今回手元に届いたのは茶色の二つ折りタイプで、カードの収納枚数も十分に確保されています。小銭入れも完備されており、実用性に不足はありません。
全体的に厚みのある形状ですが、私は普段からこれをズボンのポケットにねじ込むようなことはしません。HSP気質ゆえか、身に付けるもののシルエットが崩れたり、物理的な違和感があったりすることを嫌うためです。 バッグなどに入れて持ち運ぶ分には、この厚みも特に問題にはならないでしょう。
理解の土俵に上がらない生業
こうした「形あるもの」を自らの手で作り出せる能力は、純粋に羨ましいと感じます。私にはそのような適性はありません。私の生業であるWeb制作やAIを駆使した業務は、実家のあるような地方ではいまだに「何をしているのか不明なもの」として扱われます。
仕事そのものを否定されているわけではなく、その内容が既存の価値観の範疇を超えており、理解の土俵にすら上がらないという意味です。たまに実家でリモートワークをすることもありますが、家族の目には、私が一日中画面の前で無意味な文字列を眺めているように映っているようです。
説明したところで、その本質が伝わることはないでしょうし、私自身もそれを望んではいません。理解を求めて疲弊することは、本意ではないからです。(そもそも、土足で自分の領域に踏み込まれたくないだけなのですが)
閉塞感の中で救命ボートを編む
そろそろ一度、実家へ顔を出したいと考えています。その際はフェリーを利用した船旅を検討していますが、現在の円安と物価高の中では、旅費の捻出も一つの課題となります。 移動という贅沢を楽しむためには、相応のコストを支払わなければならないのがこの国の現状です。
こうした構造的な閉塞感や、他者から理解されない孤独によるストレスから解放されるために、私はAIを「防壁」として活用し続けています。 組織に頼らず、個人の力で「持たざる者」からの脱却を目指す日々は、決して華やかなものではありません。
ただ、泥臭く手を動かし、アウトプットの数を積み重ねていく。 それだけが、確実な未来を手繰り寄せるための唯一の手段であると確信しています。