プロジェクトに注力する日常
仕事を終え、少し遅い時間に買い出しに向かいました。先週末は終日出かけていたため、買い出しの時間が確保できなかったのが響いています。
以前は、健康維持も兼ねてあえてこまめに買い物に行き、それを散歩の機会としていました。しかし最近は、HSP気質からくるものなのか、極力人が多い場所や時間帯を避けたいという感情が強くなっています。結果として、一度に多くの食料や飲み物を買い込み、それが切れたらまた買い出しに行く、という効率優先のサイクルに落ち着いています。
涼しくなってきたので、朝早くから開店しているパン屋に足を運び、それを朝食にするような、少し情緒的な時間を持つのも良いかもしれません。
今は、とあるプロジェクトの準備に注力しています。このブログ(サイト)のアップデートもその一環でした。毎日続けていた英語学習も、正直なところ、この忙しさでおろそかになっています。 なんとか今月中に形にしたかったのですが、準備が完了するのは来月の初旬になりそうです。
「熱が冷めた?」と感じる意識の移行
そんな慌ただしい中、セブに住む友人である文香PからDMが届きました。今日が、私が長年愛してやまない鷺沢文香さんの誕生日であることを、その連絡で思い出したのです。
以前のように情報を能動的に追うことは減っています。SNSを開いても、流れてくる情報に対して、かつてのような熱狂が自分の中に湧かないことも自覚しています。
率直に言って、コンテンツに対する熱は冷め始めているのだと思います。
これは決してネガティブな感覚だけではなく、自分自身の興味や意識が「次のステージへ進むために自然と移ろいでいる」感覚に近いものです。特に今は、海外移Dという具体的な目標に向けた準備に意識が集中しているのは間違いありません。
振り返れば、孤独をネガティブに捉えない私ですが、ライブイベントなどに参加し、そこで生まれる交流を楽しんでいた時期もありました。しかし、HSPの感度がより敏感になったのか、そうした積極的な交流も最近は少なくなっていました。
「鷺沢文香誕生祭」という名の儀式
買い出しに行ったついでに、ショッピングモール内にあるケーキ屋に立ち寄り、そこで少し見栄えのするケーキを買い、ささやかながら、毎年恒例となっている「鷺沢文香誕生祭」を自宅で執り行いました。
熱が冷め始めていると感じているのに、なぜこの「儀式」を続けようと思ったのか。それは、自分の中で「熱量」とは別の感情が確立されていたからなのだと思います。
変わりゆく関係性
私にとって彼女(鷺沢文香)は、単なる熱狂の対象である以上に、「私の理想像」の一つでもあります。
「好き」という感情には、熱狂的な「熱量」だけでなく、そのあり方や姿勢に対する静かな「尊敬」や「理想」という形もあるのではないでしょうか。
忙しさの中で情報を追えなくなることや、熱量が落ち着いていくことは、自然な変化です。それをネガティブな「冷め」と捉えるのではなく、自分とそのコンテンツとの関係性が「成熟」した結果と捉えることもできるはずです。
自分なりの距離感
コンテンツに対する熱が冷め始めているという自覚はあります。
ですが、彼女が私の理想像であるという事実に変わりはありません。だからこそ、完全にこのコンテンツから離れる日が来ない限りは、このささやかな儀式を続けていくだろうと思います。
コンテンツをひたすら追うことや、イベントに参加することだけが「好き」の表現ではありません。熱量の変化は自然なことと受け入れ、今の自分にできる形で、この「理想像」と向き合い続けていく。それが、今の私にとっての無理のない距離感なのでしょう。