久々のクリスマスと未来への思い

おぼろげな将来を形にするために

久々のクリスマスと未来への思い

クリスマスらしいことをしたのは、一体いつぶりだろうか。基本的にリモートワークで引きこもりに近い生活をしている身としては、季節感を楽しむことも少なく、クリスマスもただの日常の延長でしかなかった。去年なんて、プロテインとカロリーメイトだけで過ごしていた記憶がある。

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そんな自分が今年は実家でクリスマスを迎えることになり、食卓にはそれなりにクリスマスらしい料理が並んだ。それでも特別な気持ちが湧いたわけではなく、夕食の後には持参した英語のテキストを開き、いつものルーティンを淡々とこなしていた。 2024-12-24-003.jpg 彼女とも通話をしたが、それもまた日常の一部のように感じた。

そんな中、ふと考えたのは移住先のことだ。彼女の母国に移住する可能性が高くなってきている。正直に言えば、日本での生活に対する執着も希望もない。就職氷河期世代として日本社会に切り捨てられてきた実感が強く、今後もこの国での生活が明るいものになるとは到底思えない。環境を変えてみるのも悪くない、いや、むしろその必要性が強まっていると考えるようになった。周囲からは「移住は大変だ」「苦労するだけだ」といった不安を煽る声も聞こえるが、完璧な場所なんて存在しない。いまよりいくらかマシだと思えるところへ行くだけのことだ。

彼女は私と同じような職業で働きたいという目標を持っている。そのため、移住後もリモートワークを継続しつつ、自分のこれまでの経験を彼女に伝えられたらと思っている。それが、彼女に対して私ができる数少ないことだと思う。彼女は私にとって「一緒にいたい」と思える存在だ。結婚には特にこだわりはないが、彼女がそれを望むのなら、一緒に新しい生活を始めたいという気持ちはある。
一方で、私は身体的な問題やメンタル面の不安を抱えている。そんな自分が彼女にとって本当に良いパートナーになれるのか、時々自信を失いそうになる。ただ、少なくとも今は漠然とした希死念慮から距離を置けている。この感情に支配されない日常を積み重ねていきたいと切に願っている。

現実問題として、移住には多くの課題がある。資金は限られているし、現在のリモートワークを移住先でも継続できるよう、会社との交渉も必要だ。英語学習にも取り組んでいるが、まだまだ理想には程遠い。40代半ばで新しい環境に飛び込むことは決して簡単ではない。だが、現状にとどまることが正解だとは思えない。

繰り返しになるが、移住先で新しい生活を始めることが、これまでの閉塞感から抜け出すきっかけになればいいと思っている。希望に満ちているかどうかはわからない。それでも、少なくとも「生きる意味」を探す旅にはなるだろう。それだけでも十分に価値があると信じたい。

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