大久野島から移動た先は・・・。
安浦という場所です。駅舎に歴史を感じます。ここを訪れた目的はこれを見るためです。
この防波堤は、かつての大日本帝国海軍所属の貨物船で「武智丸」というコンクリート製の船です。
大戦末期になると、輸送船の多くは潜水艦の雷撃や航空攻撃などで沈められ、鋼材も極度に不足していたため、苦肉の策で作り出したのがこのコンクリート船のようです。
戦後、堤防設置をするにあたり第一武智丸と第二武智丸を防波堤として転用することになり、ここに設置されたとのことです。詳しくはwikipediaを見てね。
これは錨の鎖を通す奴ですね。船にあった金属部分ははぎとられてしまったようですが、ここは手つかずで残ったようですね。
ここまではタクシーで移動しましたが、戻りは徒歩で駅に向かいました。荷物を背負っての移動は疲れました。旅はまだまだ続く・・・。