無能な働き者

よみがえる負の記憶たち・・・

無能な働き者

「海軍めしたき総決算」という本を読みました。前著の「海の男の艦隊料理」の後編にあたり、著者の艦隊勤務から地上勤務に異動、終戦、戦後を当時の記憶を掘り起こしながら書かれた著で、レシピ等はいっさい登場せず、主計兵として海軍に徴兵された著者の軍隊生活を中心に書かれています。

まぁこの手の本を読むとどうしても、自分の過去を思い出してしまうんですよね。軍隊のように「死と隣り合わせ」というわけではないのですけど、あの組織は負ける要素しかなかったんだろうなぁと思う訳です。またかと思う方もいるかもしれませんが、前の会社のことです。
最近ランチェスター思想にふれその思いはいっそう強くなりました。兵站を半ば無視して戦略(絵に描いた餅)はあっても戦術がない状態では部隊は案の定迷走。戦略も何も、そもそも攻略目標が朝令暮改で変わるような組織だったのも迷走に拍車をかけました。
目標を攻略する手法が朝令暮改で変わるのは致し方ないとしても「攻略目標」がころころ変わるようでは何も進まないし、そういった状態に置いては今一度「攻略目標自体」を見直すべきだと思います。

プロイセンの将軍ハンス・フォン・ゼークトの言葉に「無能な働き者は、すぐに銃殺刑に処せ。」というのがありますが本当にこの一言に付きますね。

「無能な働き者」は自分で適切な判断もできないのに、勝手に動く。 これは、余計な事をして迷走する者である。

あの組織はこれを実行しなかったため自滅したと言ってもよいです。少なくとも、あの「無能な働き者」を異動させる等して「無能は無能なりに活躍できる場」を提供するべきでした。とは言うものの、周囲の評価とは裏腹に当の本人が「自分は有能」と勘違いしており、そのことは誰の目から見ても明らかだったので一刻でも速く手を打つべきでした。
決裁権とか持たせるから勝手に動いてかき乱すものだから、一向にプロジェクトが進捗せず、本当に余計なことをしてくれました。
現場からは何度も声を上げたのですが、トップダウン型の組織では社長の権力は絶対で、それらは聞き入れられることはありませんでした。
ワンマン社長が悪だとは言いませんが、適切な判断・指示を出せないのであればあの組織体は危険であると痛感しました。

結局、組織は本社の意向で解散することとなり、その残務処理が始まるという頃に私は転職という形であの泥舟から脱出したことは過去に書いたかもしれません。

これまでは、割と思想に近いことははてなブログ(非公開)に書き留め後で読み返すことでそのとき自分がどういうことを考えていたのか、すぐに思い起こせるようにしていたのですが、私のような不幸(組織に希望を見いだせず見限るしかなかった。得る物もあったが、失った物の方が多かった。)な体験をしてほしくないという思うからです。