近所で見つけた町中華で油淋鶏定食をいただきました。
店内は典型的な昭和の雰囲気を残す定食屋兼居酒屋という佇まいで、料理は大盛りで食べ応えがあり、味も悪くありませんでした。
ただ、HSP気質の私にとって、周囲の雑音は常に大きな負担です。一人で食事をする時は伊達メガネとイヤホンが手放せません。不思議なことに、友人との会話に集中している時は気にならないのですが、一人でいると様々な音が不快に感じられます。まるで音量調整も電源も切れないラジオから、絶え間なく不快な音が流れているような状態で、イヤホンは私にとって必需品となっています。
こういった感覚の繊細さは、自分がHSPだと気づいてから初めて理解できるようになりました。これまでの人生で経験してきた理不尽な扱いや、敵対的に感じた人間関係も、この気質と深く関係していたのだと思います。
かつての結婚生活も、この繊細さゆえに苦労の連続でした。常に相手に気を使い、自分の感覚や主張は「わがまま」として片付けられ、義務と我慢を強いられる日々。セックスレスも経験し、「これが日本の結婚なのか」と絶望感に苛まれました。
離婚後は、もう誰かと一緒になることはないだろうと思い込んでいました。特に日本人女性との関係では、年齢を問わず寄生的な依存体質を感じることが多く、自然と距離を置くようになっていました。
そんな中、あるマッチングアプリで出会った外国人女性が、私の人生観を大きく変えてくれました。当初は英語力向上のための話し相手の一人でしたが、彼女と私は今交際しています。彼女との日々のコミュニケーションは語学学習モチベーションとなっています。漠然と考えていた海外移住という目標も、彼女と共に暮らすという具体的な夢へと変わりました。
彼女は私をありのまま受け入れてくれます。年齢による偏見もなく、自立した考え方を持ち、互いを思いやる関係を築けています。「あなたが定年になったら、私が働けばいい」という彼女の何気ない一言に、これまで経験したことのない新しい関係性の可能性を感じました。
「なぜ日本人じゃないのか」「なぜ同年代じゃないのか」と批判されることもあります。しかし、そういった固定観念こそが、私がこれまで距離を置いてきた日本社会の問題点なのだと痛感しています。先にも述べましたが、依存体質の日本人女性と一緒になるメリットは全くないと思っています。
一人で生きていく覚悟をしていた私でしたが、彼女との出会いで人生の新しい扉が開きました。これからは定期的に彼女に会いに行き、さらに関係を深めていきたいと思います。