合同追悼式に参列した後に高速船で江田島へ移動、第1術科学校にやってまいりました。呉には何度か来たことがあるのですが、江田島はまだ訪れたことがなくこれが初めてです。
案内担当の方に注意事項と受けたのち構内を見学しました。旧海軍時代、江田島といば海軍兵学校のことを指したそうです。
大講堂の表門。 この門は「高貴門」と呼ばれ地位のある人のみが通ることを許される門だそうです。
大講堂は何年か前に外観を綺麗にしたそうですが、建物の緑の部分(銅板)だけはそのままにしたそうです。 こちら側が裏門でここから中に案内されました。
大講堂内は広いですが、すごく音が反響するのでマイクなしでもぜんぜん声が通ります。むしろマイクを使うと大変なことになるそうです。 海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式はここで執り行われます。海軍兵学校では成績順に名前が呼ばれ、成績優秀者のみが赤絨毯を上がって卒業証書を受け取ることが許されたそうです。海上自衛隊になってからは成績順ではなく名前順で呼ばれるとのこと。 そうえいえば、旧海軍は卒業時の成績がその後の進級に大きく影響すると聞いたことがあります。そのことが組織の硬直化を招いたという批判もあるようですが・・・。
赤レンガの建物は元海軍兵学校生徒館で、現在は海上自衛隊幹部候補生学校となっています。この建物は入り口に門がなく筒抜けになっています。 そういえば某ゲームのアニメで見たような見なかったようなw。この建物をモチーフにしているのでしょう。
少し離れた場所に改装時におろした陸奥の主砲塔が見えました。 終戦直後にやってきた進駐軍の兵士が中に手榴弾を投げ込んで爆破しようとしたらしく、側は原型をとどめていますが中はボロボロだそうです。その横にあるのは高角砲かな?
ここの廊下で「坂の上の雲」のロケをしたそうです。 日露戦争で活躍した秋山真之を題材とした作品でしたっけ?ぼくは見てないのでなんともですが・・・。
教育参考館。神殿のような立派な建物ですね。 ここには多くの資料が集められていますが、終戦の混乱時に敵の手に渡ることを危惧して焼却処分されたものも多々あるそうです。貴重な資料が多すぎて、やはりというか時間が足りませんでした。
その教育参考館の横に甲標的が展示してありました。 甲標的は2人乗りの特殊潜航艇で魚雷を2本装備しています。船体が小さいため住環境はお察しだったようですね。食事を積むスペースはあったのかな?トイレなんて当然ないでしょう。こんな極限状態の中でも会敵したらすぐに諸元を手計算して魚雷を発射しないといけないとか、なんというか色々無理のある兵器と言わざるをえないですね・・・。
真珠湾から引き上げられたものだそうです。真珠湾突入した5隻の甲標的はいずれも未帰還。捕虜として捉えられた1名を除く9名は、戦中「九軍神」として祀られていましたが、戦後は軍神として祀られた軍人の家族がそうだったように、あからさまな手のひら返しを受けたんでしょうね・・・。
駆け足で見たつもりだったのですが、教育参考館の資料を全て見ることができなかったのでここはまた訪れたいですね。
togetterに時系列でまとめてますのでそちらもどうぞ。
ごむをじさんの呉遠征2016-1日目