早起きしてやってきたのは、相模国一之宮である「寒川神社」です。友人に誘われたのが、今回訪れるきっかけとなりました。
寒川神社とは? なぜ「八方除」の守護神と呼ばれるのか
寒川神社は、神奈川県にある相模国で最も格式が高いとされる「一之宮(いちのみや)」です。全国で唯一の「八方除(はっぽうよけ)」の守護神として知られています。 私も名前は知っていましたが、この「八方除」が具体的に何を指すのかは詳しくありませんでした。調べてみたところ、これは地相、家相、方位、日柄など、あらゆる方角から来る災難を取り除き、幸運を招くというご利益のようです。 そのため、厄年や転職、引越し、あるいは「なんとなく最近ついていない」と感じる時など、人生のあらゆる節目に訪れる人が多いとのことでした。
早朝の寒川神社へ。荘厳な神門と狛犬
大きな鳥居を二つ跨ぎ、入口までやってきます。
早朝に到着したこともあり、境内はまだ人が多くありませんでした。
神門の前には、左右に大きな狛犬が鎮座していました。
寒川神社の神門も御社殿も、非常に立派なものでした。
「渾天儀(こんてんぎ)」のレプリカが置かれていました。
これは天体の位置や星を観測する器具で、かつてはこれで暦を作り、吉凶を占っていたようです。
「御祈祷」体験
受付から流れまで お参りを済ませたのち、友人の勧めで「御祈祷」をしてもらうことにしました。
私は過去の経験から、スピリチュアル的なもの(特に新興宗教的なもの)には強い嫌悪感を抱きがちです。仏教に関しては、信仰はともかく思想としては納得できる点も多いのですが、神道や儀式については、これまで積極的に関わってこなかったのが正直なところです。
御祈祷の受付に行くと、多くの人たちが申し込んでいました。内容は人それぞれでしたが、ちょうど七五三の時期だったこともあり、子供の成長を願う家族連れが目立ちました。 あとは安産祈願も多かったように思います。どれも、私とは無縁のイベントなんですけどね。
受付で「どのような願いをかなえたいか」と聞かれたため、自分が現在取り組んでいること(海外移住への準備や経済的自立など)をかいつまんで話したところ、「心願成就(しんがんじょうじゅ)」ということになりました。
しばらくの間、待合室で帯域していましたが、準備が整ったとのことで御社殿の中へ案内されました。
祈祷者として体験する景色
御祈祷は、御社殿の中に上がって執り行われます。 参加者の氏名、住所、生年月日、そして「心願成就」などの祈祷内容を、神職の方が一人ひとり読み上げて寒川大明神に伝える、という形式でした。 スピリチュアルへの懐疑心はありつつも、自分の名前が読み上げられたとき、「これで全方位で厄に対して防御壁が構築されたし、私の願いもかなうに違いない。勝ち確でございます」と、そんな気分になりました。 この儀式自体にどれほどの効果があるかは分かりません。しかし、自分が達成したい目標を再確認し、それを他者の前で(間接的に)宣言する(誰も聞いていませんが)、というプロセスは、心理的に何らかの良い影響を与えたように思います。
御祈祷を受けた人だけが入れる「神嶽山神苑」へ
御祈祷をしてもらったのち、「神嶽山神苑(かんたけやましんえん)」を訪れました。
![]()
ここは、御祈祷を受けた人だけが立ち入ることを許される特別な神苑(庭園)です。
![]()
非常によく整備された庭園で、庭園の木々はほんのり紅葉が始まっており、気温が本格的に下がれば、きれいな紅葉を拝むことができるのだろうと思いました。
茶屋「和楽亭」でいただく抹茶と生チョコレート
神嶽山神苑内にある茶屋「和楽亭」で、お茶をいただきました。
メニューは抹茶(生チョコレート付き)です。 ここの抹茶は非常に質が高いようで、「苦いもの」という抹茶のイメージとは異なり、苦みが全くありませんでした。
庭園の池を眺めながら、生チョコレートと一緒に美味しく頂きました。
この静かで贅沢な時間を過ごせたことは、非常に満足度が高い体験でした。
参拝後のランチは、絶品「相模豚のとんかつ」
時刻はちょうど昼前。寒川神社から次の目的地であるとんかつ屋へ、徒歩で向かいました。
その途中、冠雪した富士山を望むことができ、これもまた幸運でした。
はい、昼食はとんかつです。(凛世ちゃん、とんかつだよ)
訪れたのは「とんかつ水龍」というお店です。 湘南台にも店舗があるようです。
メニューが豊富で悩みましたが、私はシンプルなとんかつを選びました。
![]()
注文したとんかつは相模豚を使っているとのことで、非常に柔らかく、おいしかったです。
![]()
ここは人気店のようで、私たちが食事を終えて店を出るころには満席になっていました。
御祈祷と、その後の穏やかな休日
充実した半日を過ごすことができました。
最近の休日は、サイト改修や新しいプロジェクトの準備などで、のんびりすることが少なかったのですが、この日は帰宅してからも特に何かをするわけでもなく、珍しく昼寝をするなど、穏やかに過ごしました。正直なところ、スピリチュアルなものに対する私の懐疑心は、今も変わっていません。
しかし、自分の願い(心願成就)を再確認する良い機会になったことは確かです。
そして何より、「御祈祷を受けた人だけが入れる神苑」という限定的な空間で、静かに庭園を眺めながら苦みのない抹茶をいただく。こうした「体験価値」----神苑という特別な空間で精神的に穏やかな時間を過ごせたこと----を御祈祷の対価と捉え直すのは、大人の休日の過ごし方として、とても腑に落ちるものだと感じました。