戦艦陸奥は長門型戦艦の2番艦として横須賀海軍工廠で建造された戦艦です。竣工当時、40cm砲塔を搭載している戦艦は長門型の2隻を含めて7隻しか存在せず、「ビッッグセブン」の1つに数えられていました。
長門型戦艦は連合艦隊旗艦を交互に務めていたことや、後に建造された大和型戦艦が、戦中は存在そのものが極秘事項だったため知る人はほとんどおらず、長門型戦艦は終戦まで日本海軍の象徴でした。
ヴェルニー公園で主砲が来るの待っている横で、海自最大の護衛艦「DDH-183 いずも」が雨の中ひっそり出航していきました。
靄の中からクレーン船が現れました。タグボートに曳航されてやってきたようです。
こちらが船の科学館から海路で輸送されてきた陸奥の主砲。砲身寿命は250発。これ1本あたりの重量は約105トンあるそうです。これを8本積んでいたんですね。それなりに離れた距離(25,000mを超える距離にいる)敵艦に砲撃をあてるのは、海の状態もそうですが、敵艦の位置、船速、方向を瞬時に計算する必要があり不可能に近かったようです。
タグボートで微調整をしながら、作業員の方が砲身をクレーンにつるす作業をしていました。この作業が大変らしくかなり時間をかけていました。
そしてついに陸奥の主砲はクレーンにつるされ、ヴェルニー公園に設置された台座への移設作業が開始されました。
ゆっくりゆっくり、何度も場所を確認しながら徐々に下していきました。
ぶじ台座に設置されたようで、砲身を固定していたワイヤー類の取り外し作業に移行しました。
陸奥の主砲がついに生まれ故郷である横須賀への里帰りを果たしました。
まだ仮設置の状態ですが、これから固定作業を行い整備するそうです。
来年の3月に工事が完了し式典が行われるそうです。柱島泊地で謎の爆沈を遂げた戦艦陸奥、その原因は所説ありますがどれも決定的なものではなくいまだ謎に包まれています・・・。