一昨年から同人誌を購入するようになり、まぁだいたい旧海軍の糧食に関するものがメインだったのですけど、自分でも調べて再現してみたいという欲求が出てきました。自炊は鬱病のリハビリにも良いと聞きますし、復帰に向けての取っ掛かりとして旧海軍で出されていた食事の調査とその再現をライフワークに加えることとしました。ブログのネタにもなるし一石二鳥ですね。
最近通うようになった図書館に旧海軍の糧食に関する書籍があったのでまとめて借りました。
まずはレシピを調査する前に糧食の歴史を知るべく、『海軍糧食史』から読み始めました。旧海軍の前身である幕府海軍の糧食から紹介されていてとても興味深い物でした。
おおよその歴史の流れは、以前購入した同人誌『提督の食卓』でとりあげられていた通り、最初は米とおかず代を現金で支給していたのですが、そのお金で副菜を買わずに別の用途で使ったり、貯蓄に回しす人が多かったようで、遠洋航海に出ると偏食から脚気にかかる乗組員が続出したとか。海軍首脳もこれには頭を悩ませたようで、調査委員会を設置して原因を調査したようです。
その結果、米飯からパン食と乾パンに切り替えたようですが、舌の肥えた日本人には不評だったとのこと、日本人は昔からグルメだったんですね。また、保存食や生鮮食品の保存にも相当苦労したようです。当初、国産の缶詰は密封する技術が未熟で輸送の途中で腐ってしまうことが多く、パンも輸送中にカビてしまうことが多々あり、パンについては海洋に放棄していたみたいです。
サッポロビールファクトリーでも、明治時代のビールは密封技術が未熟で、東京に着く頃には炭酸が抜けて売り物にならなかったという説明があったので、どの業界も苦労したようですね。
保存技術が発達するにつてパン食メインから米と麦を混ぜた米麦に切り替わったようです。それでもパンは週に何回かは出されていたようです。
艦船に搭載された炊事具も艦船の大小によって異なりボイラーからの蒸気を利用したものや重油を利用したもの電気を利用した物等様々だったようです。
興味深かったのは将校、士官候補生、下士官・兵では食器が異なっていたこと。烹炊所も将校と下士官・兵では場所がことなり、将校向けの食事を出す烹炊所には軍属として雇われた専門の料理人が配属され任務に就き、下士官・兵用の食事は主計科兵が担当していたとのこと。
献立一覧も士官食と兵食に別れていて、士官食はまぁ豪勢。 特に菓子類においては、女子力の高いスイーツが提供される一方、兵食は汁粉と羊羹と果物の砂糖煮缶詰だったようです。海軍経理学校が発行した「海軍研究調理献立集」から抜粋された献立一覧表があったので、とりあえず兵食メニューだけメモしておこうと思います。
最初はイギリス海軍の糧食を参考にした海軍糧食ですが、時勢や研究結果を反映する形で名称や内容が改訂されており面白かったです。今回読んだ「海軍糧食史」ですが、内容はよかった物の、文章をぶった切る形で表や写真が掲載されていて読みづらいのがちょっと残念だったかな。
個人的には士官食よりも兵食に興味がわいたので、兵食のレシピを参考にして実際に作ってみようと思います。