抹茶パウダーをパンケーキミックスに混ぜて焼きました。抹茶パウダーは目分量です。

抹茶が世界中で流行っている理由は知りません。パートナーも好むので、次に会うときの土産は前回同様抹茶パウダーを持っていくつもりです。あわせて日本語のテキストも数冊持っていこうと考えています。
パンケーキをつまみながら価格比較サイトで航空券の値段を眺めていました。眺めただけで、何も押していません。今日決めなければならない理由がないうちは、決めません。
その流れで、同じ世代の人が書いているブログを見つけ、しばらく読みました。自分の生活をそのまま並べて、それで収入を得ているようでした。厳しい言葉が届くことも織り込んでいるようで、そのことも書かれていました。私はその人とは反対の方向に動いています。人目に触れる面積を、増やすのではなく減らすほうへ。選んだ向きがちょうど逆になっています。
お金に対する考え方も逆でした。手元の資金をその日の相場と気分で動かし、一度で覆るものを待っている。私のほうは、覆らない前提で積んでいます。インデックスを積んで、あとは触らない。値が動いた日ほど、画面を閉じるまでの時間が延びます。増やして楽しむためのものではなく、社会と一定の距離を保つための土台なので、土台が動くと距離のほうが先に崩れます。
ほかの記事も読みましたが、楽が向こうから来ることを待っていて、自分から何かを好転させようという気配はないように見えました。
就職氷河期と呼ばれる時期に社会へ出て、絶望的な求人倍率を見て、同じように断られた世代です。受けた仕打ちの中身に、大きな差があったとは思えません。それでも二十年以上たつと、日々の回し方でここまで開きます。何が分岐点になったのか、読み終えてからしばらく考えていました。
思い当たるのは、自分が手を入れた回数の差くらいです。社会の側の不備は、たしかにあるのでしょう。ただ、そこを見ている時間は、私の手元を何も変えませんでした。誰が悪いかを決めても、口座の数字も明日の予定も変わりません。手を入れられるのは自分という一個体だけで、その手数が結果として残っていくのだと思っています。
答えが出たわけではありません。分けたものが本当に手数だったのか、それとも別のところにあったのか、まだわかりません。わからないまま、皿の上で少し冷めたパンケーキを食べ終えました。甘みの奥に苦みが残るくらいが、ちょうどよかったです。私が望んでいるのは、ただパートナーと静かな場所で穏やかに過ごすことです。