2018年7月13日~16日の佐世保遠征の記事です。
くらま食堂でくらまカレーをいただいた後、ガイドさんの案内で「旧佐世保鎮守府防空指揮所跡」見学しました。ここでは周辺の見張り台から得た情報を基に高射砲台の砲戦指揮を行なっていたそうです。
空襲を受けた際に被害をまぬがれたものの、戦後、不審火で内装は焼失してしまったそうです。 不審火...いろいろ想像してしまいますね。
防空指揮所跡の中は外の暑さとは対象的に涼しかったです。爆弾に耐えられるよう分厚いコンクリートで作られていました。1番厚いところで1メートルあるそうです。
ガイドさんの後に続いて中を見学。 この鉄の塊は空調装置とのこと。
地下防空指揮所があった空間にやってまいりました。↓360°カメラで撮影
ここはかつて各部屋(緊急司令室、第一〜第六情報室、作戦室、電話交換室、放送室、航空管制指揮所、大村系通信室、長官室、バッテリー室)がありで中央にあった地図盤(スクリーン)には九州を中心とした地図が表示されていたそうです。 防空指揮所が完成した1944年はもうすでに負けが混んでいた時期で、男子の数が足りないこともあり、作戦室では多くの女学生が多く電話交換手などの仕事に従事していたようです。
柱には電線というかケーブル類が残っていました。 おそらくなにかの装置とつないでいたのでしょう。 天井には焼け残った木片も確認できました。
焼けずに残っていればなぁとは思いますが、敵に誇りを渡したくない、都合の悪い情報を知られたくないという想いもあったのではないかと想像しました。
トイレ跡。ここは燃え残ったそうで、ほぼ当時の原型をとどめていました。 トイレは男女別にはなっておらず、それぞれの個室が、 准士官以上用、 下士官用、 一般兵用、 婦女子用に区分けされていました。
小便用の便器は当時の日本人の体格に合わせていることもあり低くいです。
筑波海軍航空隊の地下戦闘指揮所跡を見学したことがありますが、佐世保鎮守府防空指揮所は規模が違いますね。 軍港佐世保の防空はもちろん、九州、中国地方、四国西部エリアの見張り台からの情報を集約して高射砲の指揮を管轄していたようです。
見学も終わり外に出ましたが、まぁ暑かったです...。中から外に出る階段があって偉い人用とかあったみたいです。 こういった場所は機会がないとなかなか見学することもできませんから貴重な体験ができたと思います。
この後予定されているサンセット軍港クルーズまで時間があったので、いったんホテルに戻ってからジョッキパフェを食べに出かけました。