東京湾には多くの砲台が築かれ、観音崎に北門第一砲台跡、北門第二砲台跡、第三砲台跡、三軒家砲台跡が残っているようです。ほかにもあったようですが、今はもう残っていないか、もしくは立ち入り禁止区域にあるんじゃないかな?。そんな感じらしいです。
出来れば全部回りたかったのですが、体力的な問題で、灯台から下る途中で見かけた「北門第一砲台跡」と「第三砲台跡」、「三軒家砲台跡」しか見ることができませんでした。出来れば北門第二砲台跡も行ってみたかったですね。
道をとぼとぼ歩いているとレンガ造りのトンネルを発見。猿島で同じようなトンネルを見たことあるので、このトンネルもフランス式のトンネルなのかしら?
トンネル内は通行可能だったのでトンネル内を歩いてみます。電灯があるとはいえちょっと不気味な感じがしました。
トンネルをぬけてしばらく歩くと、コンクリートで蓋をされた倉庫跡っぽい遺構がありました。
その先第三砲台跡がありました。明治時代に作られ、大正14年まで使われていたようです。
草木が生い茂っていますが、石積みされた遺構がかつてここが砲台であったことをうかがわせます。
近くに展望台があり、そこでは猫様がくつろいでいました。人なれしているのか、近寄っても逃げることはありませんでした。
先ほど通ってきたトンネルに戻り、戦没船員の碑へ向かいました。
まず目に入ったのは船の錨。この錨は神戸高等商船学校の練習帆船であった「進徳丸」の錨で、華麗な帆船として作られ戦時中に汽船へ改造され輸送任務に従事、終戦間際に米軍の艦載機による機銃掃射とロケット弾攻撃により大破、沈没を免れるために任意欄座。終戦から1年後に引き揚げられ三菱神戸造船所で修理され練習船として復活。引退後は神戸商船大学構内に保存されていましたが、阪神・淡路大震災で設置地盤が崩壊したため、老朽化していた船体は解体撤去することとなり、錨だけがこの場所に設置されたようです。
その先に戦没船員の碑はありました。この場所もかつては大浦堡塁という砲台があったとのこと。
「安らかに ねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに」とあります。今日の日本は周辺諸国からの脅威にさらされていますが、波静かであってほしいと願うばかりです。
戦没船員の碑から公園を経由して三軒家砲台跡を目指しました。途中に門の跡のような遺構を見つけました。
その横には格納庫跡らしき遺構が。南京錠でしっかりロックしてありました。
三軒家砲台は明治29年12月20日完成、27加濃砲4門、12加濃砲2門の砲台で、太平洋戦争が始まる前の昭和9年8月20日に廃止されたとのこと。
セメントで入り口は塞がれてましたが、位置的に弾薬庫跡とみて間違いないでしょう。
一番奥の27加濃砲跡は弾薬庫が地下になく地上にありました。近くにトンカチが落ちていたのですが、これでカギを破壊して中に入ろうとしたのでしょうか・・・?
猿島、第二海堡に続き、貴重な東京湾要塞跡を見て回ることができたのですが、暑い中歩いたのでかなり体力を消耗しました。めちゃくちゃ汗もかきました。
先にカレーを食べた時にホテルに併設された温泉施設の半額券をもらっていたので、お風呂に入って疲れをいやしてから横須賀中央にある酒保鳳翔にむかいましたとさ。