観音崎京急ホテルから観音崎灯台は歩いて行けそうな距離だったので、海水浴客やらBBQをしてる人たちをしり目にカメラを持って移動を開始しました。
で、最初に目に入ったのはこれ レールの跡が見て取れます。
その先には桟橋跡ぽい遺構が残っていて、調べたところここは輸送船の荷揚げ桟橋だったようで、ここから弾薬やらを観音崎砲台の各弾薬庫へ運んでいたそうです。また、陸地へは線路でつながっていたそうです。先のレール跡はその跡と思われます。
観音崎灯台に着きました。灯台へ来るのは出雲にある日御碕灯台以来2度目になります。この観音崎灯台は日本最古の洋式灯台で、大正時代の地震で2度倒壊し、現在の灯台は3代目とのこと。
点燈日は上に明治巳巳年正月元日(旧暦で明治2年1月1日)、下に11 FEVRIER 1869(1869年2月11日)とあります。
観音崎灯台の照明
灯台から下ってくるとレンガ造りの遺構がありました。後で調べて知ったのですが、ここが第一砲台跡とのこと。
自然博物館近くの公園まで来ました。ここから先ほど灯台から見えた遺構が見えました。この遺構は防衛庁の施設内にあるため近くで見ることはできませんが、調べてみたところ「検潮所と呼ばれ、潮の干満を調査する機械が設置されていた」という説と「観音崎水中聴測所とよばれ、湾外を潜航する米艦を探知していた」という2つの説が有力とのことらしいです。
この辺りは砲台跡が点在しているとのことで、色々見て回ろうと思ったのですが、ここからずっと上り坂で体力を消耗してしまい、結局のところ第三砲台跡と三軒家砲台跡しか見ることができませんでした・・・。