なんとなく鹿島神宮と香取神宮へ
いつも取材で同行させていただいてる青葉さんに誘われるがままに鹿島神宮へやってまいりました。 特にこれといった明確な目的はなく、以前から行ってみたいとは思いつつ行けていなかったので、誘われた時に「これは良い機会だ」ということで二つ返事でOKしたわけです。
鹿島神宮
少し歩くとこじんまりとした門前町にでました。
サトちゃんで遊んだり
鹿のオブジェでネタ写真を撮ったりしながら鹿島神宮へ向かいました。
要石
大きな鳥居を通って本殿へ・・・ お参りを済ませて次の目的地である「要石」へ
途中、ナマズの額にやりを指して押さえつけている鹿島大明神のオブジェがありました。
「要石」は地震を起こすナマズを押さえつけておく石として言い伝えられている石ですね。 鹿島神宮の「要石」は中央が凹んでいました。
鹿島神宮奥宮と艦娘の鹿島ちゃん
うっすい本(旅する艦娘)に掲載するかどうかはさておき...。 とりあえず持ってきていた「ねんどろ鹿島」でロケ撮影を行いました。
お昼はとり天定食
お腹が空いたので門前町にあるカフェ?に入ってランチメニューのとり天定食をいただきました。 食事は旅の醍醐味ですよね。なかなかの両でお腹いっぱいになりました。
桜花公園
鹿嶋にはかつて海軍神之池航空基地があり、ここで大戦末期に特攻兵器"櫻花"の訓練が行われていたそうです。以前、飲み友達の猫さんからその情報を得ていたので行ってみることにしました。 が、鹿島神宮駅から徒歩で行くには遠く、バスもほとんど走っていなかったのでタクシーを使いました。リッチですね・・・。
桜花の慰霊碑
第七二一海軍航空隊(神雷部隊)、第七二二海軍航空隊(竜巻部隊)の英霊が祭られているようです。
第七二一海軍航空隊はあのゲームでも実装されてる一式陸攻(野中隊)の野中五郎大佐(最終階級)が飛行長として指揮した部隊でもあります。
掩体壕
この掩体壕は昭和19年4月に完成したものだそうです。 タクシーの運転手さんが終戦時5歳だったそうで、子供の頃はこの辺りに5つくらいあったと教えてくださいました。
青葉さんの取材に同行するようになって、旧軍の施設を見学してきましたが掩体壕を見るのはこれが初めてです。
掩体壕に桜花11型の模型が展示してありました。 この模型は映画で使用されたものとのこと。
桜花
桜花は人間ロケットと呼ばれる、旧海軍が大戦末期に開発した特攻兵器です。母機に吊るされた状態で射程圏内で母機から切り離します。切り離した後パイロットがロケットエンジンを点火し一気に加速。 ロケット停止後は加速の勢いで滑空し敵艦に体当たりするように設計された兵器でしたが、航続距離が短く母機を目標に接近させなくてはならないため、切り離す前に母機ごと撃墜されることが多かったようです。
訓練も「とりあえず操縦できるレベル」にした後に鹿屋に送ったのでしょう・・・。
現在もそうですが、個々を大事にせず使い捨てるのはこの頃から全く変わっていないのかもしれません。
兵站をおろそかにして勝てる戦などありえないということがなぜわからないのか・・・。
毎年桜が咲く頃に慰霊祭を行うそうで、その準備の途中なのか桜花を抱いた一式陸攻の模型が飾ってありました。
香取神宮
鹿島神宮から香取神宮にやってまいりました。
途中、天真正伝香取神道流の開祖、剣聖「飯篠家直」の墓に立ち寄りました。 塚原卜伝の鹿島新當流もこの天真正伝香取神道流の流れをくむ流派だそうです。
香取神宮の本殿にやってまいりまいた。 鹿島神宮と同様にこれからの一年自分が平穏に過ごせるようにお祈りしました。
ここには海上自衛隊の練習艦かとりの錨が奉納されています。
香取神宮にも本殿から少し離れたところに要石がありました。 鹿島神宮の要石はくぼんでいましたが、こちらの石はくぼんでいないのですね。香取神宮とかとりの錨と艦娘の香取先生
ここでもうっすい本(旅する艦娘)に掲載するかどうかはさておき...。 とりあえず持ってきていた「ねんどろ香取」でロケ撮影を行いました。
思いつきで始まった日帰り旅行でしたが楽しむことができました。鹿島神宮と香取神宮にお参りしましたがご利益があるといいな。
ロケすると聞いていたのでカメラ機材を持ってきていたのですが、これは減らしてもよかったかもですね。