筑波海軍航空隊、地下戦闘指揮所跡を見学

筑波海軍航空隊跡地にある地下戦闘指揮所跡と病院跡を見学しました。部屋はコンクリートの円形で、各部屋にはケーブルを通すための穴がありました

筑波海軍航空隊、地下戦闘指揮所跡を見学

友部というところにある「筑波海軍航空隊記念館」へやってまいりました。いつか行ってみたいと思っていたのですが、3月いっぱいで閉館するとの情報を得たので急遽行くことにしました。

2016-03-13-013.JPG 友部駅から約2km歩いたところにある病院の敷地内に記念館はありました。

チケットを購入しそのまま館内へ・・・は入らず、そこからさらに1.5km先にある「地下戦闘指揮所跡」へ向かいました。

2016-03-13-001.JPG 地下戦闘指揮所跡は山林の中にありました。ここは昭和20年2月にできた地下施設で、司令部が使用不能になった時の為の代替え施設として建設されましたが、司令部は終戦まで残ったため、実際に使われることはなかったようです。

小山の中に施設はありますが、もともと平地だった場所に2mの穴をほり、木枠を 組んだのちに鉄筋コンクリート製の部屋を作り、その上に土を盛ってさらにそのうえにコンクリートで補強し、さらにその上に土を盛ってカモフラージュを施していたそうです。

2016-03-13-002.JPG 入り口で簡単な説明を受けた後、渡されたヘルメットと懐中電灯を装備し、いざ地下戦闘指揮所内へ。

2016-03-13-003.JPG 通路は台形で高さは低め。まぁ当時の日本人の平均身長からすれば十分なのかもしれませんが・・・。

2016-03-13-004.JPG 各部屋の大きさは大小で違いがありましたが、どの部屋もかまぼこ型でした。

2016-03-13-005.JPG 屋根や壁の線状のものは朽ちた木材が残っていて、当時は木材が埋まっていたのだと思われます。

2016-03-13-012.JPG どの部屋も一部にこのような穴が開いており隣の部屋に通じていました。ケーブル類を通していたのだと思われます。

2016-03-13-006.JPG 各部屋の入り口は通路の屋根よりさらに低く、何回か頭をぶつけました・・・ヘルメットに助けられましたね。

2016-03-13-007.JPG 地下施設の一番奥に通信室跡がありました。

2016-03-13-011.JPG ここには通信機や発電機、配電盤が設置してあったであろう基礎が残っていて、唯一外が覗けるように天井に穴が空いていました。ここから潜望鏡のようなもので外の状況を確認できるように開けたのでしょうか?

本土防空戦では、地上から空の状況を確認して指示を出していたと聞いたことがあります。ただ、戦闘機に搭載されている無線や電話などの通信機は不具合が多く、ほとんど使い物にならなかったようですが・・・。

2016-03-13-008.JPG 地下戦闘指揮所を見学した後、すぐそばにある「地下応急治療所」へ移動しました。

2016-03-13-009.JPG この「地下応急治療所」は戦後に地主が盛り土を削ったため長い間発見されず、2015年になって発見されたとのことです。

2016-03-13-010.JPG ここもかまぼこ型の形をしていて広さは16畳ほど、当時は薬瓶や包帯などが常備されていたそうです。奥に採光のための窓があったであろう枠がありました。

地下戦闘指揮所や地下応急治療所の周りは今は木が生い茂っているのですが、ひょっとしたらまだ発見されずに埋まったままの施設跡があるかもしれませんね。