横須賀ディープ紀行

追浜の空技廠跡周辺を散策

横須賀ディープ紀行

横須賀に移住する前もさんざん横須賀に遊びに来ていたはずなのに、これまで追浜を散策したことがありませんでした。たまたまとある人のご厚意で追浜を案内していただけることになり、追浜の空技廠(海軍航空技術廠)後を中心に散策しました。

2018-01-03_001.jpg大津にある諏訪神社に初詣にやってまいりました。横須賀はいたるところに諏訪神社があるような気がします。そしてここは、はいふりの聖地だったはずです。

2018-01-03_002.jpg追浜に移動してまいりました。さっそく雷神社に参拝。12人の乙女が落雷から逃れたという故事から厄除けで有名とのことでしたので厄除けの御守りを購入しました。
「いかづちじんじゃ」が正式名称とのことですが、近くにある信号機の表記は「かみなりじんじゃ」なんですよね。

2018-01-03_003.jpg濱空神社。追浜海軍航空隊の守護神であった鳥船神社の維持が難しくなり、2008年に雷神社の敷地内に移築したそうです。濱空神社は横濱海軍航空隊の英霊をお祀りしています。

2018-01-03_004.jpg雷神社に参拝した後、空技廠跡周辺を徒歩で散策しました。耐震基準に満たない建物がどんどん取り壊される中、何とか残っている建物もありました。

2018-01-03_005.jpg当時の建物も今は企業の所有だったりするので保存は難しいでしょう。これらの建物もいずれは取り壊されると思います。

2018-01-03_006.jpg海上自衛隊の小型船を修理していました。YGとあるので油船だと思います。

夏島にやってまいりました。 2018-01-03_007.jpg「豫科練誕生乃地碑」。ここはかつて横須賀海軍航空隊の基地があり、そこで海軍飛行予科練習生(予科練)がパイロットになるための訓練を受けていたそうです。

2018-01-03_008.jpg甲種飛行予科練習生鎮魂乃碑。この地で訓練を積みそして各人がその任務を果たすべく散華されました。英霊に祈りを捧げここを後にしました。

個人の犠牲に頼る悪しき慣例をいい加減断ち切らないと結局あの戦争からなにも学んでないことになるのではないでしょうか。都合のいいように解釈しているだけなのではと感じずにはいられません。