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海自についてお勉強

カレーをいただいた後、スタンプラリーを制覇するため校内を徘徊しました。

2015-09-19-301.JPG海軍水雷学校跡の碑。元は別の場所にあったようですが、ここに移設されたとのこと。

2015-09-19-302.jpg上崎辰次郎之碑。日清戦争時、乗艇していた水雷艇の発射管の故障のため魚雷が発射できず、それに責任を感じ自決したとのこと。

2015-09-19-303.JPG海軍通信教育発祥記念碑

2015-09-19-305.jpg海上自衛隊発祥之地

2015-09-19-306.jpg海上自衛隊が創設されるに至った経緯を自衛官の方から説明していただきました。
敗戦後、日本近郊にばらまかれた機雷を除去するため、旧海軍から引き継がれた掃海部隊がその任にあたっていたものの、非武装化されていたため、洋上治安の悪化が深刻化したため、1946年に海上保安庁が設置されたとのこと。ただし、艦船には排水量・武装・速力に厳しい制限が設けられていたようです。
旧海軍出身者を中心に秘密裏に海軍再建にむけY委員会という組織が設立されたとのこと、Yは隠語で海軍を意味するそうです。
その後紆余曲折をへて海上警備隊が設置され保安庁の傘下に入ったとのこと。保安庁はその後、防衛庁となり現在の防衛省へ昇格しています。
この第2術科学校は、相模運輸倉庫株式会社から土地を提供され、この地に開校したようです。

海軍機関術参考資料室へやってきました。

2015-09-19-307.JPG保安庁が警備隊向けに最初に計画した国産警備艦建造計画に基づき建造された乙型警備艦「DE-201あけぼの」の模型。後部に対潜爆雷投射機と爆雷投下軌条を装備しているのが特徴ですね。これらの装備は後の改装で撤去されたようです。

2015-09-19-308.JPG警備艦「あけぼの」の舵。この「あけぼの」は、最終的に第2術科学校の停泊実習艦として使用されたのち解体されたとのこと。

2015-09-19-309.JPGこれが、先ほどの「海上自衛隊が創設されるに至った経緯」の講座で出てきたY委員会の議事録です。

2015-09-19-310.jpg最後に「艦船の設計について」という講義を受けました。この中では、まず2年前からおおよその仕様を仮決めし、そのなかで予算に応じで最終的な排水量や搭載する武器及び管制システムなどの艤装が決まり発注するという流れで建造されることがわかりました。

2015-09-19-311.jpg帰る間際、twitterで知り合った青葉さんと合流し、すこしお話しした後「海上シャトル便」のチケットを譲っていただきました。青葉さんとはtwitterではよくお話しさせていただいていたのですが、お会いするのは今回が初めてでした。

2015-09-19-312.jpg海上シャトル便に乗船。自衛官の方が帽子を振ってお見送りしてくれました。

2015-09-19-313.jpgはい、田浦から海上自衛隊横須賀地方総監部へ移動しました。
逸見岸壁には「いずも」がいました。まぁいつみてもでかいですねぇ~。

2015-09-19-314.jpgいつもは1隻しかいない「そうりゅう型潜水艦」がこの日は2隻いました。

このあと、酒保鳳翔とか行ってもよかったのですが、翌日イベント参加を予定していたので、自重して帰宅の途に就きましたよ。
海上自衛隊のオープンスクールはこれが初参加だったのですが、旧海軍の資料なども見ることができ、とても貴重な体験ができたと思います。今度は江田島にある海上自衛隊第1術科学校にも行ってみたいなぁ。

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